now loading

N0-19 金栗四三の生家
日本マラソンの父と慕われる金栗四三は、1891年ここ和水町、旧春富村で造り酒屋を営んでいた父信彦・母シエの間に生まれました。

四三は、マラソン選手として3度の世界記録を樹立し、日本人で初めて、第5回オリンピック・ストックホルム大会に出場。さらに、第7回アントワープ大会・第8回パリ大会と3度のオリンピック出場を果たしました。

小学校の時、生家から学校までの往復12Kmの通学路を毎日走って移動していた事が、マラソンの基礎になったと語っています。

マラソン普及のため、生涯に走った距離は25万Km・地球6周と4分の1、その精神を「体力・気力・努力」の言葉に残し、1983年、92才で永遠の眠りにつきました。